みたび 如月のこと   




1日
(月)私の好きな「1日」。カレンダーの「1」という数字の日が巡ってくる度に、すっきりとした気分となる。
 今日は朝のうち晴れていたので、洗濯物を思いっきり乾したとたんに、雲が垂れこめてきて、デイホームに行くころにはパラパラと冷たい雨が落ちてきた。
 1時間後には本格的な降りとなる。夕方の天気予報を見たら、夜には雪となると言っていた。
 9時過ぎて窓を開けてみたら、外は真っ白で、小止みなく雪が落ちてきている。こういう時の天気予報は当たることになっている。
 久々の白い世界を、飽きることなく30分位眺めていたら体がすっかり冷え切ってしまった。
 今日は平々凡々の一日だったけれど、夜になって天からの思わぬ贈り物が届いて、遅まきながらのクリスマス気分がいい。
 ハルコさんから電話で、「『とど』のお食事会の計画をあなた立てなさい」とのご命令。
 そこで早速調整にかかったら、あっという間に衆議一決、14日のお昼に自由が丘で、ということになった。
 今回は家から最も近い和食のレストランをピックアップ。すぐに電話で予約を取った。14日が楽しみ。

2日(火)ゆうべ降りしきった雪が、あっという間に消えて、良かったような、がっかりしたような。
 でも、気温が上がったという割に寒いのは、道端に残った雪に風が染み通っていくかららしい。
 午後1時半、O夫人をお迎えに駅に出た。1時半から2時の間、ということだったけれど、1時半に行ったらすぐに着いた電車から降りていらした。彼女らしい律儀さ。
 今まで長い年月のお付き合いの中で、私たちが寄り付きにくかった、超エリートの奥様だけれど、お話してみたらとても楽しかった。
 ご主人が亡くなった後に日記が残してあって、その中に昔の恋人との熱烈な恋愛のことが綴られていたという話を楽しそうに話してくださったり、お嬢さんがご主人を追い出した話など、面白かった。
 この間少し体調がおかしくて、薬を頂く約束をしていたキョウコさんが、O夫人がみえると言ったら、薬を持ってきてくださった。
 皆旦那の同窓生のおつれあいで、久しぶりにお話が弾んで、良い午後のひとときとなる。
 ご主人が亡くなった時は、涙が一滴も出なかったのに、うちの旦那のときは何故か涙が止まらなかったのはどうしたのかしら?とおっしゃるのを聞いて、そういえば私も、自分の家の時は涙が全く出なかったのに、よその方の時は泣けて仕方がないことなどを思い出した。
 今夜も湯たんぽ2個を抱えて寝る。

3日(水)お雛様の展覧会のお知らせを頂いた。よくよく会期を見れば、どう考えても今日しか行くチャンスがない。
 今日はおとといの雪の名残の寒さが残っていて、こういう日は歩くと膝に響いて歩行困難なのだけれど、午後から思い切って出かけていく。
 和光の並木館の5階で、ゆっくりとお雛様の饗宴を満喫してから、1階ずつ下がって、磁器や洋服、バッグなどをウインドウショッピング。
 きれいなものを見るのは楽しい。今日は渋谷で期間限定の節分のお菓子を買って行ったけれど、ご案内を下さった方にはお目にかかれなかった。
 でも久しぶりの銀座なので、痛い足を無理して背中を伸ばして歩く。
 折角出てきたのだから、ゆっくりと散歩したかったけれど、無理は禁物。マリオンで、そうだ!アバターを見て行こうと思いついたけれど、チケット売り場は長蛇の列だし、次の回まで1時間あるのであきらめ、有楽町から反対方向の山手線に乗って、東京駅に行った。
 この頃の駅って面白い。なにより活気があって、この雰囲気の中に浸っているだけで元気になるのだ。
 駅中の地下のゆったりしたソファのあるところで、30分ばかり座って人の波を見ていた。
 東京駅に行ったのは、まず美味しいお弁当を買うのが目的だったけれど、いざとなるとどれを買ってよいものやら……。
 結局お寿司屋さんで鉄火丼を買ったとたんに、向かい側の米沢駅牛肉どまんなか弁当にすればよかったと、後悔した。
 帰りに駅を降りたら、また雨だった。乾燥し切っていたので、このところのお湿りがありがたい。
 夜ごはんは冷たい鉄火丼だけ。

4日(木)去年の秋からの日課となってしまった整骨院通いだけれど、これが日によって混み具合が違い、その様子は全く読み取れない。
 今日も外から覗いたら待合の椅子が空いていたので、しめしめ今日はすいている、と思ったのに、結果は1時間半掛かってしまった。
 午後からミワコさんがお見えになるとの約束をしてあったので、時間が中途半端になる、と一瞬躊躇しながら、そのまま電車に乗ってしまい、プールに行った。
 それでも効率よく1時間の運動をして、帰ってから遅い昼食を済ませて一休みしたところに、ミワコさんのご到来だった。
 この前お預けしたボディで、可愛らしいお人形を4つ持ってきてくださり、とりあえずといった感じで、オトーサンの写真の前に立たせた。彼の親衛隊みたい。
 夜は頂いた美味しい餃子で満腹。お友達が見えるたびに、私はコバンザメもどきのたかり屋となる。

5日(金)相変わらずの肌寒さ。それでも暇なのでプールに行くことにする。
 今日も毎回会うおじさんがせっせと水の中を歩いている。この人、かなりのスピードで、水ばかりか人をかき分けて、という感じはいつもの通り。
 隣のコースを皆気持ちよさそうに泳いでいるけれど、まだ肩を回せないので、私はひとり孤独感をすこし味わいながら、黙々と歩くばかり。
 今日は整骨院の先生から、すこし加減して、といわれたので、40分で妥協、とっぷりとあたたかいお風呂で長居をする。
 外は寒いけれども、プール帰りは家までほかほかで、気持ちがよかった。
 明日マキチャンのところに行くので、約束したポテトサラダを大量に作る。

6日(土)今日は肌を刺すような冷気との予報だったけれど、朝はそんなに寒くない。
夕方からまきちゃんのところに、ノリコ夫妻と同道。今日は身内の13人が集結した。
マキチャンのご主人のシゲキさんがAB型で、あとはO型とB型人間の大集団は、みんな口から先に生まれたというか、体中が口みたいな輩だから、煩いなんてものではない。ついにはきわどい話題も勃発して、こんな楽しい夜は久々
だった。11時になって2人の酔っぱらいをエスコートしながら、タクシーを拾って帰る。

7日(日)深々と冷える。だから今日は一歩たりとも外に出ないと固い決意を固めた。
 昨夜は寒さのせいか、寝ていて膝がうずいて度々目が覚めたのだ。
 ベッドに腰掛けて、部屋が暖まるのを待ちながら、メールを打っていたら、ノリコが胃の薬を取りに来た。
 夫婦そろって二日酔いらしい。昨日マキちゃんのところで、2人とも飲み過ぎだ、と思っていたら、案の定。
ばかだねえ。
 もう20年も前に自分で編んで、ペイントで絵を描いて頂いたセーターが出てきて、最近そのお気に入りを着ていたら、誰かに、そういう袖のタックって昔流行ったのよね、と言われて、そうだった、ならばこれは今風に直そうと思いついた。
 それで今日はその作業に専念する。まず袖つけを解いて、ピンを打って、黒い毛糸がないので、木綿糸の2本取りで袖をつけなおした。
 着てみたらかっこいい。これでまた当分楽しめる。
 午後になってBS朝日でまた辻井伸行さんのピアノを2時間聴く。無信心な私だけれど、彼のピアノを聴くと神の存在が信じられる。こういうのを天の美禄と言えるのかも。

                                     

8日(月)私にしては珍しくマイナス思考の日。
 この数日の低気圧で、膝や肩など、体調不良の元凶が騒ぎ出しているのが大きな原因だということが分かっているけれど、そうなると、何もかもがマイナスの方向に向いてしまう。
 たとえば、挨拶した人が気がつかなくて通り過ぎて行ったり、なんとなくよそよそしく感じられたり、2階の階段のあと1段のところでつまずいたり、タッチの差でお鍋を焦がしたり……。
 仕上げにお菓子の缶に入れておいた1円玉(3000円くらい)をばらまいてしまい、床に散らばったのを拾うのに苦労した。
 気分転換に渋谷に行って、お赤飯のお弁当を買ってきて、熱いお茶で一人の宴会。
 夜は毎週録画しているBS日テレの「イタリアの小さな村」を見たら、今日のテーマは、未婚の3人兄弟のおじいさんの生活で、すこし前向きになった気分が、また落ち込んだ。今夜は芸人さんのばか騒ぎの番組が気分転換に役立った。

9日(火)午後から鎌倉のカズコさん、中野のヤスコさんと待ち合わせて、日本橋高島屋の「草乃しずか刺繍展」に行く。
 草乃さんは著名な日本刺繍の作家で、カズコさんの師匠。
 その研ぎ澄まされたセンスは、無駄が全く排除されながら、温かさと優しさに満ちている。
 とても混んでいる会場だったけれど、ふと周りを忘れるような静けさに満ちている空間で、私は生き返った気持ちがした。
 いつまでも、いつまでもそこに居続けたいという気持ちを引き剥がして、帰ってきたけれど、会期中にもう一度行きたいと思う。
 その夢と楽しさに溢れた、それでいて装飾的でない文章力にも目をみはる思いがした。
 同じ人間に生まれながら、神様ってひょっとしたら「ひいき癖」があって、気に入った人にはとことん手を貸すのかもしれない、などとあらぬことを考えながら帰途についた。

10日(水)91回目のユトリーバの日。今日は久しぶりで、お昼を提供することにして、暮れに頂いて保管していた長いもと極上の焙煎大麦で、麦とろ飯と10種類の野菜を使ったトン汁を作った。
 今日は9人のお客様。コーラスをしている間にアツコさんとハルコさんが作ってくださる。
 少しは気温が上がったものの、寒さはまだまだで、温かいトン汁は大好評だった。
 話題は金銭問題で揺れる小沢一郎と、引退してさっさとハワイに行ってしまった朝青龍に集中。
 おばさんは怒ってるのだぞ!と皆口角泡を飛ばしてしゃべる、しゃべる…。
 日が長くなったぶん、ゆっくりと皆様遊んで行ってくださった。

11日(木)建国記念日で、お休み…らしい。私は毎日が日曜日だからなんの関係もない。
 ゴミだけは忘れずに出す。春はまだ行きつ戻りつ、六方を踏んでいる感じで、きょうも寒い。
 2月に入って旦那が居ないという実感が強く、時々無性に寂しさを感じることがある。
 病気になる前は、余りの憎たれ口をきかれたり、人の言うことを無視されたりすると、メリーウイドウの生活にあこがれたことがあったのも事実だけれど、やっぱり居てくれないと困る存在だったのだわ(ほんとは、蹴りいれてやろうか、と思ったことだってあるんだ)。
 今日は休みだから子どもたちが来るかと、ひそかに期待したけれど、誰も来ない。
 午後になって、ヨウコさまが作った文旦のジャムを届けに、旦那のミノが来たので、孤独で死にそうになっていた気分が和らいだ(この際「さま」付けにさせてもらう)。私はやっぱりなにより人間が好き。
 夜になってキョウコさんに電話をしたら、彼女の入っているコーラスでマタイ受難曲をやっているというので、コンサートに行く約束をした。ついでにコーラスに入らないか、と勧められる。
 これ一考の余地あり。夕方から雨。明日はまた雪になるかもとの予報。降ったらいやだな。

12日(金)昨夜からの雨は朝になって一旦途切れたものの、午前中に思い直したようにまた降り出した。
 一日中気温はさがったままで、体の芯から冷気がわき上がってくるような寒い一日だった。
 やるべきことを放っておけない性格で、今日は何としても、という感じで隣の駅まで地代を納めに行く。
 いつもだったら歩いて行く距離だけれど、少し和らいだ足の痛みがぶりかえさないようにと、一駅乗る。
 お寺の庭は、12月の紅葉の華やぎが一変して、そそり立つ枝はどれもが、もうお手上げですわ、といった感じで空にその骨格をあらわに突き上げている。
 駅前に京都の美味しい和菓子屋さんが開店したので、柚子と梅の小さなおまんじゅうを買って、帰りは歩いて帰った。
 夕方、友人のF子のお嬢さんから、お母さんが人工呼吸の生活にはいった、との電話があった。
 去年の春に、退院してきたから今度からせっせとメールを送るわね、とメッセージがはいったあと、ぷっつりと連絡が途絶えて、とても心配していたのだ。恒例の文旦を送った受け取りの電話だったけれど、長話になる。
 今度からこちらから電話を入れることを約束した。もう一度元気になってくれればいいけれど……。
 隣にいながら10日も顔を見ていない息子が、会社から電話をかけてきた。
 電話機を取り換えようと思い、頼んであったのを買ってきてくれるという。

13日(土)今までで一番寒い一日だったような気がする。
 それでもやることもないし、というわけで整骨院に行ったら、ご常連は皆様来院していらした。
 プールに行こうかと思って、支度だけはしたのだけれど、2、3日前に包丁ですっぱりと切ってしまった左手の人差し指が、まだ生々しい状況なので、それを口実に一日家にこもることにした。
 今私の左手は惨憺たるもの。3日おきに、まず鍋に触って作った火傷、次にお湯がはねて作った水ぶくれ、そして、今回の切り傷で左手に悪い虫がついたみたい。
 こういうときはおとなしくしているに越したことはない。
 それにしても退屈な1日だったなあ。それでも、お昼は具たくさんの煮込みうどん、夜は蟹味の雑炊(これは名前負け商品)と、結構しっかりと栄養だけは取っている。

14日(日)暮れの忘年会で約束していた、トドの会のお食事会を奥沢の和食レストランで開いた。
 かなり古くからあるこの店は、そう目新しいものは出ないけれど、落ち着いた店なので使いやすい。
 帰りにわが家に寄っていただいて、夕方まで和みの時間。
 今日は、以前から計画していた一泊旅行計画の実現に向けて動く。お目当ては伊豆の河津桜と稻取のつるし雛。
 そうなったらどんどん話が前に進むのが、このグループの良いところなのだ。すぐにホテルを予約してから、皆様のお帰りがけに、私も渋谷まで一緒に行って、早速切符を購入した。
 今日は魚久の粕漬け、横浜華正楼のしゅうまいなどの差し入れがあったけれど、渋谷に出るとつい買いたくなるのが弁松のお弁当。頂いたのものは明日からのお楽しみとして、今日もお弁当を買ってしまう。
 こういうときだけは、一人暮らしの醍醐味をとことん味わっている。
 夜になって電卓をはじいたら、今月の支出が大幅にオーバーしている。
明日から当分はお財布の口を締めなければ!

                         

15日(月)先週金曜日に、デイホームのヒラノさんから電話で、月曜日すこし早く来て、ということだったので、いつもより30分早くに出かけていく。
 今朝は月1回の体操がある日なので、整骨院は後回しにする。
 治療はそろそろ間引きしようかな、と思いつつ毎日の日課になっているのだ。
 今日の体操は苦手な片足立ち1分間がなくて、やれやれ。
 デイホームの今日のおやつに、クリームパフェを作ってご馳走してくださると言うので、いつもより30分早く終わり、皆様のお仲間に入れていただいたら、隣の奥様が、自分の器に少ししか入っていない、と私のとを見比べて言う。
 あら、分けてあげるわ、とプチシューを2個入れてあげたら、この方は減量することになっているのだった。
 一見普通に見えても、すこし認知症気味の方もあるので、こちらの対応を気をつけなければならないことを、再認識した。
 夜になって、今日約束したヒラノさんが仕事帰りに寄っていく。この前お線香を頂いたお礼に文旦を4個上げたら、筋トレになると喜んで担いで行った。
 今日またネットのトラブル。今度のは少し深刻かも。明日はこれで予定が崩れそう!

16日(火)不調だったパソコンのネットは、朝一番にイッツコムのカスタマーセンターに電話。
 モデムのフリーズだったようで、リセットで5分で復元した。
 アツコさんと午後目いっぱいを銀座で遊んで、ゆっくりと帰宅したら、なんだか様子がおかしい。
 泥棒に入られたと気がつくまでに何秒かを要した。雨戸を閉めようとしたら、ガラスが切られていたのだ。
 改めて部屋を見回したら、そこいら中の戸が開いている。慌てて2階に駆け上がったら、全部の部屋が荒らされていた。
 結論としての被害は、私の指輪、ペンダントなどが総ざらえされて、全部のケースがカラっぽだった。
その中には、旦那からもらったエンゲージリング、サイズが合わなくなってはずしていた結婚指輪もあって、日ごろ宝石類にはあまり興味がない私も、流石にがっくりきた。
 玉川警察から刑事さんが2人来て、犯人の痕跡、調書、家族の指紋とりなどで、やっと食事にありついたのは、ほとんど夜中に近かった。
 実は今日もう一つ私にとっての事件が発生したのだ。
 ドロボウに入られたと気がついたとき、何故か110番に連絡するということが頭に浮かばず、とっさにやったことが、駅前の交番に走ることだった。
 私が近道と称する、息子と娘の家の間の隙間を通り抜けるときに、段差に足が引っ掛かった。小さなバッグをもっていたこともあって、前につんのめった体は、コンクリートの上に顔面制動。
 一瞬歯が折れた!と思ったけれど、どうにかこれは無事だったものの、同時に打った左の膝が痛い。
でもそれどころではなかった。
 騒ぎが一段落して、さて、と食事に入った時、顎が痛いのに気がついた。
 テレビで見ていた顎関節症という字がちらつく。
 今午前3時半。とてもじゃないけれど、寝る心境ではない。疲れてしまって土足のあともそのままの寝室で、ベッドにひっくり返っているうちに、新聞屋さんのバイクの音。

17日(水)神様の存在というものは余り信じない私だけれど、今日ばかりはその有難さを痛感した。
 つらつら考えるに、なけなしの生活費をもっていかれなかったことが、ラッキーだった。
 指輪は様々な思い出が消滅してしまった寂しさはあるけれども、これは心の中に根付いているもので充分。
 何よりも幸い!と思ったのは、整骨院ですぐに治療してもらって、お昼御飯の時に顎の痛みが消えていたことだったし、膝は内出血しているので、超音波をかけて、シップと包帯で固定してもらって、歩くのにも支障がない。
 今まで難儀していた右膝の痛みが、なんと!和らいでいる。
 それにも増して最高に幸いだったのは、遊び呆けていたお陰で、犯人と会わずに済んだことだった。
 鋭利な刃物で切られたリビングのガラスは、5ミリの厚さがあって、もし顔が合っていたら何をされていたかわからない。
 それにしても入った途端に写真の旦那と目が合った犯人、びっくりしただろうな。真正面でにこにこ笑っているんだもの。
 今日は流石に午後家に籠って、修理屋さんの応対に暮れた。
 一度入るともう一度入られるということが多いそうだけれど、今度お目にかかったらどういうお接待をしようかしらね。

18日(木)落ち着いてきたら段々と腹が立ってきた。
 我ながら物欲がないのを、長所だと思ってきたのだけれど、やっぱり取られたものは悔しい思いが残る。
 でも、人にこんな思いをさせた人間の末期は、良いわけはない。
 もし、この世を無事にやりおおせたとしたって、あの世の関所でお閻魔さまに呼び止められるに決まっている。
 そう思って溜飲を下げるしか、今現在の手立てはない。(ちなみに過去に私のことをいじめた人は、全て末路があわれだった)。
 今日一日は、ほとんど外に出ず、あれこれと考え事をして過ごしたのだけれど、栄養だけはしっかりと摂ってしまってカロリーオーバー間違いなし。
 午後になってミノとヨウコおばちゃんが陣中見舞いに現れた。人恋しかったので無性に嬉しい。
 けがをしてからお風呂に入っていないので、髪の毛が逆立っている。安達が原のおばば状態。

19日(金)朝起きぬけに膝の包帯を取ったら、黄色い痣が広がっていたけれど、何が何でも今日はお風呂に入りたいと、決意する。
 とにかくシャンプーがしたかった。気持ちよかったなあ。
 泥棒に入られてから、出かけるのが躊躇されて、ぐずぐずしているうちにお昼近くなってしまい、慌てて整骨院に行った。
 怪我したところは骨に影響がないようだし、先生はまだ温めないようにと言われるけれど、なんたってこの寒さ。寝る前にはなんとしてももう一度お風呂に入るぞ、とひそかに決める。
 帰ってからゴムの湯たんぽを抱えて、ずっとオリンピックの男子フィギュアーを見ていたら、いつの間にか寝てしまい、気がついたら高橋大輔君が銅メダルの表彰台でにこにこしていた。一年間のブランクから這い上がった彼の精神力と努力に乾杯!
 整形外科のシミズ先生のところに薬を頂きに寄って、ついでにドロボウ事件のことを話したら、「これからきっといいことがあるよ、うん」と何故か先生嬉しそうな顔。
 掴みどころがいまいち分からないアバウトな先生だけれど、こういうときの対応は一流!…かな?

20日(土)少しばかり寒さが和らいだような気がする。
 ベランダに出てみたら、植木屋さんに伐らないでと言っていた甲斐があって、桃の木にピンクの蕾がいっぱいついていた。
 間もなく開こうと構えている様子。ひょっとしてドロボウさんがこの枝を伝って逃げていたとしたら、枝が折れなかったのを感謝しなければならない。
 昨日までわさわさと落ち着かい日を過ごしていたために遅れてしまったけれど、送られてきた協会誌に載せて頂いた夫の追悼文のお礼の電話を筆者のミノダさんに掛ける。
 仕事のことを家庭に持ち込まなかった旦那のことで、亡くなってからいろいろと知ることが多い。
 ご主人がお留守で、まだお会いしたことのない奥様と、30分もしゃべりこんでしまった。
 それにしてもオトコってつくづく2面性があるなあ。こんなに持ち上げて頂いて、旦那はあの世から面映ゆい思いをしていることだろう。
 高校の友人のミホコさんから転居通知が来たので、電話をかけたら、F子が亡くなったと知らされた。
 彼女も新聞の記事で知ったという。考えたらドロボウ騒ぎ以来、新聞を読んでいない。
 お嬢さんから、意識不明と連絡があってまだ数日だというのに、奇跡は起きなかった。
 電話をかけようと思ったけれど、わが家の不幸の時の気持ちを思い出して、受話器を取った段階で気が変わった。明日手紙を書くことにする。

21日(日)雲ひとつない空が気持ちよく広がる朝。
 ゆうべ寝ていると外で時々ことんと音がするのが気になって、眠りが浅かったけれども、空の気持ちよさに、思ったよりもすっきりと起きた。
 テラスに出てみたら、昨日よりまた少しふくらみを見せた桃の蕾が、朝の光の中で、「春よ来い、早く来い」と歌っているようだ。
 家を建て替える前、2m程のバランスの良い丈で庭の真ん中で枝垂れて咲いていた花は、その気品に満ちた姿に惚れていたのだけれど、敷地の隅に追いやられてもなお、生きる力を失わず上へ上へと光を求めて這い上がり、今は2階の屋根に届く高さになっている。
 日の当らない根元は、とっくの昔にうろ(洞)なっているのに、花芽を摘まない限り毎年、見事な花付きを見せてくれるこの花を見ると、なんと頼もしい子と思わずにはいられない。
 若いころロングスカートのように、華やかな裾を広げていた花は、今変身してその枝を空に突き上げている。
 私がとても欲しくて、舅の家を継いでから、植木屋さんに頼んで植えてもらったこの木はもはや私の宝物となっている。
 ジュエリーはドロボウさんにその一切合財をもっていかれて、ほんのひと時は少しばかり落ち込んだけれど、もはやどうでもよくなった。
 息子がもう一回指輪を買ったら?と勧めてくれたけれども、1個買って相続の時に仲違いが起きる種は作るまい、と思う。
 私の懐具合に見合ったものを2個買っても意味ない。家業に失敗した実家では、親が残してくれたものが余りなかったおかげで、兄弟みんなとても仲良く付き合っていられることを思った時、「もってけ、どろぼう」と呟く心境に達したこの頃だ。

                    

22日(月)暖かくなるという予報だったけれど、なんだか肌寒い朝を迎えた。
 この頃はもう、早起きをするという努力はさらりと捨てて、目が覚めてから1時間ほどを、エアコンをつけたり、テレビのスイッチを入れたりして、もぞもぞとしているのが心地よい。
 今朝は思い立って、午前中に手紙を3通書いた。夫の追悼文を学会関連の月刊誌に書いてくださったミノダさん、編集者のコイズミさん、そしてF子のお嬢さんにお悔やみ状。
 気になっていることが3つ片付いて、ほっとする。
 整骨院に行くのが遅れて、時間ぎりぎりデイホームに駆けつけて、今日はお誕生日会だというので、ハッピーバースデイを弾いて歌って、ケーキのお相伴にあずかって、ルンルン気分で自由が丘の銀行に、プールしてあったお金を入れに行く。
 ドロちゃんがまた来ても、家にはもうお金はありませんよ!
 足を延ばしてAURAに遊びに行ったら、お店はもぬけの殻。ちょっとどうしようかと考えていたら、3軒向こうのお惣菜やさんから、カクマツさんが、こっちこっち、と叫んでいる。
 あまり売れないからやることがなくて、コロッケを食べようと買いに出たそうな。
 奥のアーケードは全く人の流れがなかった。

23日(火)少し寒さが和らいだので庭に出た。去年から気になっていながら放り出していた小菊の鉢は、枯れたままの枝の下から新しい命を噴き出している。珍しくて買ってきたスミレ色の花はひとしきり目を楽しませてくれて、たしか2年草と聞いたけれども、その名前すら忘れてしまった。
 なんとかしてもう一度花を咲かせてほしいと思うけれども、流石にこれは新芽をつけていない。
 去年一年の殺伐とした私の心を花は感じとって、一緒に元気をなくしていたのかも知れない。
 夕方近く建築会社の大工さんが、あれこれと寸法を測りに来た。
これを機にガーデニングにも目を配ろうと思う。
 でも今まで私の守備範囲だった息子の家の敷地内は、お嫁ちゃんがきた今、手を出していいものか、迷ってしまう。
 破られたガラスは、まだ入れるのに手間取って、花屋に出向くのも躊躇してしまうけれども、それにつけても、私のジュエリーたちは今どこに行ってしまったのかしら、とふっと思う。
 どんなに大事に思っていたものでも、もう手には戻ってこないだろうし、万が一帰ってきてもいささか気味が悪くて、もう一度それぞれの箱に収めようとは思わない。
 流石O型人間、と褒めて?くれる人もあるけれど、今度ばかりは、大雑把な性格に反省しきりなのだ。
 そんな雑駁な心境のなかで、計画したバス旅行のお仲間は、確実に増えて、9人となった。

24日(水)ゆうべ息子が、やっとお香典返しが終わったと言ってきたけれど、まだ遅くなってから頂いた分が残っていることに気がついた。
 流石に日が経ち過ぎているので、慌てて午後から渋谷に行った。
 もう私たちの所帯では、ものを上げたらご迷惑。なににしようかとさんざん迷って、結局赤坂の料亭の進物用にセットされたものを5件依頼したら、筍ごはんの素と、ニシンの昆布巻きをおまけと言って呉れた。
 デパチカはかなり人が出ているけれども、通り抜けの人もたくさんいるし、両隣が同じようなお店だったので、なんとなく気持ちが分かるような気がした。
 不景気風は当分やみそうもないのだろうか。
 余談だけれど、この店の店長さんはだいぶ年配のおばさんで、揉み手をしていた割には、足りない商品を本店に依頼する電話で、「今お客さんに宛先書いてもらってっからさあ」とかなり裏表がある。
 一昨日聞いた話。自由が丘の少し高級なブティックが、もう店じまいしようと思うけれども、山のように抱えた商品の始末をどうしようかと、悩んでいるそうな。
 安売りするのはプライドが許さないから、多摩川に行って、河川敷で燃しちゃう、と言っているそうだけれど、都会ではもう、あの懐かしい焚火でさえ禁止されている。
 お天気が良いので、今日はコートを脱いで、好きなバスに乗って行こうかと思ったけれど、まだリビングのガラス窓が直されていないので、時間の掛かる外出は心配。往復とも来合わせた特急に乗ったので、あっという間に家に帰った。
 今夜は、昨日庭で見つけて摘んでおいた蕗の薹を天ぷらにした。ほろ苦さが口に心地よい。

25日(木)ニュースでは、久しぶりで寒気が緩んだと言っているけれど、このところのトラブル続きで、私の体は矢鱈と寒くて時々吐き気がしたりするところをみると、どうやら自律神経がおかしくなっているらしい。
 食欲が全くないけれども、何か食べなくては、とそういうところは何故か律儀。
 お昼はたらこスパゲッティを作り、夕方まで湯たんぽを抱えて寝椅子でしっかりと昼寝をした。
 夜も食欲は戻らないまま、この間からお赤飯が食べたくて、レトルトの袋を買ってあったのを思い出し、泥棒騒ぎがどうにか不幸中の幸いといった感じで済んだお祝いを一人でした。
 おかずは、昨日の蕗の薹の天ぷらの残りと、これも昨日の残りの切干大根煮つけ、朝のうちに作っておいた人参サラダ。並べて思わず「わあ、ご馳走だ」と呟いた。
 一人ってわびしいわねえ。
 ヤスコさんから電話で、「もしまた泥棒が入ったら、家の中に入ってはだめよ、何されるかわからないから」
とご親切な忠告。
だけどそんなに何回も入られたら堪ったもんじゃないわ。もうわが家はガラクタしかないんだからね。
 そういえば朝のニュースで、隣町に入った2人組が捕まった、と言っていた。ひょっとしたらわが家に不法侵入した奴らかもしれないと思う。そうだったらもう一回お赤飯を食べなきゃ。

26日(金)今日もやたらと冷たく思えるけれども、ニュースは今冬の寒さがやっと去って、と言っている。
 やっぱり私の体はおかしいのだわ。温まろうと思ってお風呂に浸っていたら、玄関のベル。
 あわてて最小限の服をまとって出たら書留だった。おかげで体がまた冷えてしまう。
 午後になって昨日注文通りに届かなかったお米の配達を待っているうちに、とてつもない睡魔が襲ってきて、しっかりと寝てしまう。
 2時にはレッスンのセリザワさんが見えるというのに……。
 朝届いた書留はヒロミさん宛てだったので、夕方電話をして取りに来てもらい、話し相手なってもらっているうち、少し元気が出てきた。こんなことしていていいのかしらね。
 セリザワさんのために買ってきたロールケーキと、頂いた大粒の苺を皆に分配。
 なんたってこの村は運命共同体なんだから。

27日(土)朝2階の窓を開けたら、桃が開き始めていた。いつもお隣に枝を伸ばしてそれが気になりながら、気がつくと花が開き切ってしまっていて、おすそ分けの時期を失していたのだけれど、今日は2月27日、そうだわ、お隣の奥様の一周忌の日だと思い出した。
 それでうちの仏壇に備える分とお隣の分を伐ってお届けした序に、お線香を上げさせて頂き、そのついでにわが家に泥棒が入った話をしてきた。
 そういえば東隣のアパートの通路で不審な人を見かけた、ということで、ノリコの旦那様のタケちゃんも、そんな話をしていたのを思い出した。
 すべてあとのまつり。
 話し込んでいるうちに、誘われるままにお隣に行ってしまって、玄関のカギをあけっぱなしだったことを思い出し、大急ぎで帰った。
 この2、3日膝の痛みがストレートになってきて、これはひょっとしたら、この間の泥棒騒ぎのときに、交番に行こうとして転んだのが原因かも知れないと、そんな気がしていた。
 整骨院でその話をしたら、ひょっとしたら半月板がダメージを受けたかも、といわれ、これはショックだった。
 とりあえず今日は土曜日なので、テーピングを厳重にしていただいて、痛みは少し和らいでいるけれど、もしそうなら、病院に行ってMRIを撮ってきて、と言われた。私病院て嫌いなんだ。なんとか無事に済んでほしいけれど、すべては来週持ち越し。
 火曜日には稲取の温泉に行くことになっています、と断固決然と宣言してきた。

28日(日)2月も終わってしまった。今月は少し気が緩んでいたらしい。日帰りと一泊の旅行を計画して手配したまでは良かったけれど、その日のうちに泥棒に入られたり、怪我をしたり……。お彼岸が済んで去年までの貧乏神は追い払ったつもりだったのに。
 どうやら、守護神だと思っていた、背中にぴったりと張り付いていた神様は、貧乏神だったらしい。
 来月こそ退散していただかなくては。
 昨日ぴんぴんにテーピングしてもらったお陰で、今日は足の痛みが和らいでいるけれど、大事を取って家に籠ることにする。そういえばプールに半月も行っていないことを忘れていた。
 玄関の梅の鉢はあっと言う間に枝だけになってしまった。そのほかにも、枯れたままの鉢が幾つか。
気ばかり焦るものの、なかなか気持ちにゆとりが生まれなくて、そのままにしている。
来週明け早々に伊豆に行ったり、職人さんが入ったりと、3月もアッという間に通り過ぎて行ってしまうのだろうけれど、もう、お好きにどうぞ、という心境になっている。
 お向かいの白梅が今真っ盛りで、わが家の片隅の桃も、見事な花をつけている。地球規模でチリに大地震が起きたり身辺でもざわざわと落ち着かないこの頃、唯一花だけが忠実に季節を知らせてくれるのが気持ちを和ませて呉れて嬉しい。今朝鶯の声を聞いた。



                          
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